意味づけのはじまり。

ことばが生まれるということは、単純に音声を模倣したり、外から教えられた名前を真似るということではなく、そこには、子どもの中に世界を意味づけていくという積極的な働きが育っていく必要があります。世界を意味づけるところから、ことばが生まれていきます。


昨日、ある子がおままごと遊びをしている様子を初めて見ました。以前は棒のようなものを振ったり、叩いたりという遊びがブームでしたが、「物」世界での遊び方が少しずつ変化してきました。

おままごと遊びでは、ハンバーグをお皿に乗せたり、包丁で切ったり、フライパンに野菜を入れる、蓋をする、ガス台に乗せてフライパンを持つ、というように、物一つ一つを、それらしく使い遊び始めています。子どもの中で、それらの物が、どんなふうにでも好き勝手いじることができる単なる物理的な「物」から、人間的な意味を帯びた「物」へと、少しずつ変化しているのでしょう。世界を意味づける働きの表れでもあり、同時に、物をそれらしく扱う遊び(慣用操作)は、子ども自身が周囲の大人の行動を「みて」、わが身にうつしていくという、他者への共感的関心に支えられた働きでもあります。


この子は、同時に「人」世界においても、大人のバイバイに合わせて手を振る、歌を歌った時に手を叩く、手遊び歌を真似し始めるなどの身振りが始まっています。こうした身振り模倣も、他者の身体や動作への共感的関心があるところに始まっており、「物」世界の遊び方の変化とも関係しているのでしょう。

昨日の遊びの中では、この子は使っていたミニカーを箱に入れたとき、ミニカーに対してバイバイと自発的に手を振りました。バイバイという身振りが、単なる他者の声掛けや身振りに反応する機械的なものから、「ある物が去った時に行う行為」へと、「意味のあるバイバイ」に変化していっています。こうした行為の意味づけもまた、他者からの共感的な関わりのもとでバイバイを相互に繰り返す(共同行為)中から生まれ、他者と共同で作り上げていく(共同生成)ものであると考えられます。


このように、世界に対しての意味づけの始まりが、他者との共感的関係に支えられているからこそ、子どもたちが獲得していく意味の世界が、社会的に他者と共有可能なものになっていくのだと考えられるのではないでしょうか。